• Mitsuo Haga

聖書をとおして神様の言葉を探求しましょう

神とあなたの個人的なつながり

英会話クラスをとおして学んだことですが、英会話が上達する人にはどんな特徴があるでしょう。頭の回転のよさ、センスのよさなどとは関係がなく、クラスではよく聞き、よく話し、そして普段の生活でも、テレビで英語の番組を聞いたり、英語の歌を聞いて歌ったり、普段から英語で物事を考えたり、英語に触れる時間が多い人ほど、当然ながらその上達振りは目を見張るほどです。しかし、一週間に一度の英会話クラス、または学校での英語の授業などでしか英語に触れない人は、当然ながらほとんど上達していません。また、先生に尋ねられた質問に対して、がんばって直に英語で答えようとする生徒と、すぐに辞書、通訳者に頼ろうとする生徒でも大きな差がでています。また、[やらされている学習]と「やりたい学習]では、当然ながら英語の習得にも大きく影響します。そして、英会話に週二回出ている子供、英語を毎日5分でも聞いたり、一日単語を一個でも覚える子供は一年で、ものすごい上達しています。

LECCの二年間の目標は「霊的な成長」です。そのために各教会でいろいろな取り組みをしていることでしょう。めぐみ教会でも礼拝の中での小教理問答書の復習、礼拝後の説教の復習の機会を行ってきましたが、果たしてみなさんの霊的成長につながっているのでしょうか。ちょうど年が変わる時期において、もっと良い霊的成長の道具、機会はないものかと考えていました。すると上記の英会話クラスのことが頭に浮かんできました。

霊的な成長において、シンプルですが、聖書を個人的に読むこと以上の手段はありません。

あなたは聖書を毎日読んでいますか? 礼拝に出席して説教を聞いている、またはプリントされた説教を読んでいる、聖書の解説本などを読んでいる、聖書クラスに出席しているというのは除いてください。神様の言葉を直接に読んで、感じて、瞑想する時間のことです。

牧師はある意味では、英語の翻訳者のようです。牧師は神の言葉をあなたに分かりやすく通訳する翻訳者、辞書です。英会話と同じように、聖書を読んでも、それについて深く瞑想、探求したり、聖書は聖書によって解釈するという原則に基づいて、聖書のいろいろな箇所を当たってみたりしないで、すぐに答えを求めようとしていませんか? 聖書自体ではなく、参考書や小教理問答書を読んで、満足していませんか? それは聖書を読んでいるうちに入りません。聖書とあなたとの間にワンクッション入っています。

毎週、礼拝にでて説教を聞くことはすばらしいことです。しかし、週に一回英会話クラスに出たからといって、英語の上達は少ししかないように、その人の霊的な成長も少しだけです。特に複数人が参加する英会話クラスに出ているのと似ています。個人レッスンよりも習得は劣るのです。聖書クラスに出席することも素晴らしいです。しかし、それも翻訳者つきの機会です。聖書を直接に、個人的に読み続ける、それは神からの聖書の個人レッスンです。

あなたは聖書を毎日読んでいますか? 聖書を読み続けていると、分からなかったこともわかるようになります。分からないことも、別の書簡などで解釈や解説を与えられていることもあります。また、聖書の語句に慣れてきます。また、聖書は一冊の本です。ある箇所を説教する、ある書簡を学ぶというのは、微視的なミクロの学習です。しかし、聖書を包括して読むことは巨視的な学び、つまりマクロです。説教、聖書の学び、ミニ説教、小教理問答書などは、微視的なミクロの学習であって、神の言わんとする包括的な、全体的な視点に立ったものではありません。もっと簡単に言えば、パズルの全体の完成図が分からなければ、いくら一つ一つのピースをよく知っていても、パズルを完成させられないのと似ています。

神は聖書の御言葉をとおして、聖霊なる神を遣わして、私たちの信仰を強め、成長させると約束されています。その他の手段ではありません。聖書を読んでいる人は、単なる知識の豊かさだけではなく、平安と喜びと確信をともなった信仰をもっていると感じます。今年、礼拝の機会で聖書を輪読します。聖書を読む習慣をつけるためです。一年で読もうとする必要はありません。一日5分でも、少しでも継続して読むことの出来る量を読みましょう。三年かかるかもしれません。聖書を読んで、瞑想、探求しましょう。分からないことだらけだと思いますが、深く考えて見ましょう。あなたが初対面の人と話すときにも、その人の話し方、使う言葉にも、機会を追うごとに慣れてくるように、神の言葉にも慣れてきます。

私が神学校のときに行っていた聖書の読み方を紹介します。聖書を読みながら、たった三行でその一章をまとめること。自分で読みながら、聖書にタイトル、章と節をつけていくこと。(これは聖書をさらに分かりやすくするお勧め方法です。)聖書を読みながら、感じたこと、分かったこと、わからなかったことを書き出していくこと。いつか、それが線になってつながるときがあります。もちろん、主に祈り、主が知識と理解を増し加えてくださるように祈りましょう。

誰かに聖書について話すときに、どのように話して良いか困ってしまうのは、いろいろな要因があります。しかし、一番大きな要因は、神の言葉、神の意志と御心を知らないことです。英会話でも、英語の言いまわし、単語、熟語、イディオムなどの語彙が増えれば増えるほど、豊かな英語で相手に深く、広く、正しく自分の思いを伝えられるのと同じなのです。

ちょうど今はクリスマスです。東の国の博士たちは民数記24章17節にある、救い主の出現時の特別な星の預言をミクロ的にだけ研究しませんでした。しかし、聖書全体の観点であるマクロ的にもその御言葉を読み、瞑想し、探求したことでしょ。するとその博士たちは、その一つの御言葉の約束を信頼し、救い主に出会い、そこにもられている数々の祝福に出会ったのです。そのように聖書を読むことは、楽しいこと、うれしいことです。重荷と感じている人、聖書にある自分の好きな箇所ばかりを聞き、読みたがる人、その人は神を自分の「奴隷」にしているのであって、「主」にしていないのです。聖書に盛られている希望、神の愛、真の平安、永遠の祝福を探すことは、とても楽しいことです。

「主の御教えは完全で、魂を生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」(詩編19編7,8節)

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